3.11東北大震災の被災地での体験から生まれたJunko☆の千手観音ダンス
私Junko☆は3.11の東北大地震の1週間後、世界一周で有名なピースボートのボランティアメンバーとして被災地支援に参加しました。
TVで津波の映像を見て、いてもたってもいられず、勇気を振り絞って参加したのを覚えています。
ダンス教室の生徒たちが寄せ書きを書いて温かく見送ってくれました。
被災地では、TVのニュースだけでは伝わらない、360度広がる悲惨な光景を目の当たりにし、圧倒されました。
怖い気持ちを落ち着かせるために、毎日ボランティア活動に熱中し、ヘドロの除去、炊き出しや倉庫仕分けなどを行いました。
その活動の中で、悲惨な状況の中でも光を見出して一生懸命生きる方々を目の当たりにしました。
「この1週間ずっと、母を探して歩いている。」と、途方もない距離を一日中歩き続けている女性に、温かい豚汁を届けたり。
子どもたちに少しでも楽しんでもらえるようケチャップでハートマークを描いたオムライスを配ったり。
「ありがとう」と言われるたびに、
こちらのほうがありがとうだよ、と思っていたけど何と声をかけていいのかわかりませんでした。
あの状況で生きている一人一人が、とても大切に見えました。
立ち上がる強さを教えてくれました。
震災後、「不謹慎」という言葉が多数ささやかれる世間の風潮に、一番最初に必要ナイものはエンターテイメントでした。(個人的な感想です)
あの時、エンタメは不謹慎であり、自粛、自粛の嵐でした。
衣食住、命の安全が第一であり、私のようなダンサーは必要がない存在なんだ。
プロダンサーとして、何もできない自分に落ち込みました。
コロナ禍と似ている状況です。
ですが、たくさんの方々の懸命な助けにより衣食住が確保された被災地で、新たに必要になったもの、
それは、エンターテイメントでした。
どんな状況でも、人には楽しみや癒しが必要です。
私はダンスの先生をやってきた経験から、朝のストレッチ体操を任せていただきました。
東北の凍るような朝に、音楽をかけてみんなでストレッチ。
ストレッチと軽いウォーミングアップで体があたたまると、みんなの表情がやわらかくなっていきました。
自分が持つダンスという武器は、人のために活かせるんだ。この時に気がつきました。
東京に帰ってすぐ、日本最大の振付師コンテストLEGEND TOKYOで勝負することに決めました。
にんげん、一人一人がとてつもないパワーを持っている。
その一人一人が行動を起こし、立ち上がることで世界は変わるんだ。
被災地で得た力強い体験をそのまま作品に込めました。
3.11の東北大震災の被災地でのボランティア体験がなければ、この千手観音ダンスは生まれていませんでした。
まずは自分から行動することで、世界は開けます。
次回は千手観音ダンス作品に込めた想いと、受賞した経緯について書きたいと思います。→ 行動力。誰も期待していなかった私が三冠王になったわけ
ダンサー 振付師 Junko☆ より
LEGEND TOKYOとは
ダンスメンバーオーディションから選曲、振付、演出、照明まで、総合力が必要となるストリートダンス界最大規模のコンテスト。一流の振付師、演出家としての登竜門となる大会
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